京都とは、東は河原町通り、西は堀川通り、北は丸太町通り、南は四条通りに囲まれた中だけだと、生粋の京都人は言う。その真ん中を横に走る御池通りと縦の烏丸通りをもって、このエリアは「田の字地区」と呼ばれている。
近年、建築規制の改正もあって、不動産(投資)的「田の字地区」はもう少し南下するが、文化的京都の重心は中京区の東側にあり、ここを訪れることを「入洛」と今でも言う。
だから、京都駅についても、それだけでは「入洛」している事には、決してならない。
この「田の字地区」の外にある場所、つまり「洛外」は、かつては「幽界」だと考えられていた。「幽界」とは、死後の最初の霊的世界であり。その目に見えない世界を感じ表現する事を「幽玄」と言う。
古(いにしえ)から、その世界には魔が住むと考えられていたが故に、「幽界」と町衆が住む「現世」の間にまるでセキュリティゲートのように神社仏閣が建てられていったのである。つまり、多くの人達が考えている「京都観光」とは、「幽界」巡りだ。この世とあの世の間にあるエッジを巡るのが、京都の神社仏閣巡りの本質に他ならない。幽界に位置する寺で、幽玄の絵画や庭を見て座禅を組み、もうひとつの世界と交信する。
日本的美意識とされる「わび・さび」は、「シンプル」の意ではなく、実際には見えない複雑な幽界を、なにも無い所から感じることを指している。また「花街」も、「幽界」と「現世」の間に佇むふたつの世界が交差する場所に建てられた。生きているか、死んでいるのかわからないほど白化粧をする芸妓や舞子は、陽がくれた後、蠟燭のあかりのなかで、町衆を幽界へ誘うエージェントなのだ。それゆえ、京都人の日常に、神社仏閣は無いのである。